ひとり芝居「天の魚」「天の魚」とは
石牟礼道子「苦海浄土」の中の一章、「天の魚」をもとに、故・砂田明が脚色・構成した演劇作品で、胎児性水俣病の孫を持つ年老いた漁師の語りで構成されています。砂田による公演は1979年水俣から始まり、1980年2月東京・浅草木馬亭公演、その後全国各地を巡演し、1992年、砂田が病に倒れるまで、上演556回を数えました。この間、1981年に紀伊国屋演劇賞特別賞を受賞しています。
1993年に砂田が死去した後、長く上演されることがありませんでしたが、砂田の弟子でもある俳優・川島宏知によって、2007年9月、14年ぶりに復活上演されました。
復活上演にあたって、2006年、かつて砂田の東京公演を支えた「東京不知火座」を再度立ちあげ、制作にあたることになりました。
![]()
砂田明という演劇家のことをご存知でしょうか。
1970年。戦後高度経済成長の頂点とも言えるこの頃、日本は消費社会を謳歌し、大阪の万国博覧会には全国から訪れた人々が溢れていました。「豊かな社会」の到来や「人類の進歩と調和」という楽天的なスローガンが叫ばれていたそんな一時期に、それらのスローガンの陰で垂れ流されてきた毒に苦しむ幾多の人々の、いのちのための長い闘いもまた、大きなうねりとなって私たちを震撼させていたことを、みなさんは思い出すでしょうか。
この年、東京の舞台人として活動していた砂田明さんは、石牟礼道子さんの『苦海浄土』に導かれるように、無数の被害者を出した水俣病の爆心地へと向けて、巡礼の旅に出立します。そして、やがて水俣の地に居を定め、こんどは『苦海浄土』の一章を演劇化したひとり芝居「天の魚(てんのいを)」を演じながら、十数年にわたって全国を行脚することになるのです。それは、水俣の美しい海と山の光景、しかしまた、水面の下で水銀に冒された光景の悲しみを、病に倒れた人々の深い痛みと刺すような問いかけを、魚たち、動物たち、草木たちの霊を、それに、すべての生命が共生する世界への想いを、身体ひとつに宿しながら、あらゆる人々の魂を揺さぶりつづける舞台であり、闘いの旅でした。
砂田明さんが旅半ばにして65年の生涯を閉じてから今年ではや13年。水俣病の「公式発見」からはすでに半世紀の歳月が経過しようとしています。けれども、水俣病はまだ終わってはいません。患者の皆さんの苦闘がいまなお続いているのと同時に、水俣を考え続けることの普遍性、重要性がますます感じられてきているとさえ言えるのではないでしょうか。そんななか、私たちは砂田さんの志を継いで、あらたな「天の魚」を舞台に上せようという思いを手放さずに今日まで過ごしてきました。
そしてこの度、砂田さんに演劇の教えを受け、また、砂田さんの芝居を陰で支え見守ってきた俳優の川島宏知(小松敏宏)から、この舞台をふたたび演じたいという申し出を得ることができました。これを受けて私たちは、川島宏知によるひとり芝居「天の魚」復活プロジェクトをスタートさせます。初演は本年9月15〜24日、和光大学で催される水俣・和光大学展にて、本公演は来年秋ごろを予定しています。
つきましては、皆様がたのご支援、ご協力のほどを心からお願いする次第です。
2006年6月 東京不知火座/代表・岡村春彦(文責:星埜守之)
賛同人(敬称略・50音順)
石牟礼道子(作家・原作者)
緒方正人(漁師)
最首悟(環境哲学・和光大学=当時)
砂田エミ子(砂田氏遺族・脚本著作権者)
土本典昭(映画監督=故人)
時枝俊江(映画監督)
旗野秀人(新潟・冥土のみやげ企画)
原田正純(医師・熊本学園大学)
![]()
なにしろ続けることだけが、私たちに出来る唯一の表現なのです。
今年も、懲りずに公演を続けることになりました。昨年とは、少し趣向が変わります。
昨年の反省を踏まえて演出家を迎え、主役の川島は、演技に専念することになりました。その演出家・遠藤邦夫は、不知火座の代表である岡村春彦に川島とともに演劇の指導を受けた演劇仲間で、昨年の公演の際、船堀に奥様と共に駆けつけて全面的な協力を惜しまなかった人です。演出は当然ですが、美術も照明・音響も変わる。また、この一年の精進の成果を川島の演技が見せると思います。どうぞお楽しみにしてご来場下さい。
もう一つ、若い人たちにとって、すでに古典の世界に入っている「苦海浄土」の世界を、現在社会に再度開こうと思いました。水俣世界から発信し続ける原作者の石牟礼道子さんについての講演を、各公演の前につけました。講演者は、不知火座後援会の代表である最首悟氏で、4回の連続で依頼しました。一回ごとにテーマが違いますので、半券を捨てずにお持ちいただければ、一枚のチケットで講演だけは入場できるようにいたします。
食の安全だ・エコ社会の実現だと、騒がしい世の中になってきました。言われていることは、確かにやらないよりやったほうが、良いことなのでしょう。しかし、私が水俣に関わった70年ごろ、水俣の動きは、「負け戦」「弔い合戦」なのだと言われておりました。水俣の被害が、回復出来ない・償えないものならば、社会のシステムを継ぎ足すことではなく、人そのものが変わらなければなりません。今に至るまで変われなかった私が書くのも、不遜を通り越して恥ずかしいことですが、そんな私でも希望を見ることは出来ます。この芝居の主人公「江津野老」の矜持が、羨ましくそして救いに思えます。この老人を支える環境と生きる姿勢は、「いのち」という説明不能の言葉を体現しているのではないでしょうか。この舞台を維持することは、社会に希望の火を灯すことだと自負しております。
東京とはいえ外れの江戸川・船堀の公演でご不便をお掛けするかもしれませんが、どうぞご来場くださいませ。お待ちしております。また、この演劇は、お呼び下されば、何処へでも参りますので、お声をお掛け下さい。
(文責・宮本成美/2008年9月)